福沢諭吉が一万円札の顔で居続ける理由

名著「学問のすゝめ」から読み取る、福沢諭吉が一万円札の顔で居続ける理由

タイトルは知っているけど、内容は知らない名著。
一度は読んでみたいと思っているけど、なかなか読めない名著。

福沢諭吉「学問のすゝめ」のエッセンスを抽出してみました。

そこから見えてきたのは「福沢諭吉が一万円札の顔で居続ける理由」です。

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学問のすゝめ

「学問のすゝめ」は明治の代表的知識人である福沢諭吉の代表作です。
慶應義塾大学の創設者であり、一万円札の顔としてもお馴染みの偉人ですね。

学問のすすめの中には、有名なフレーズがあります。
「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」

聞いたことがあるのではないでしょうか。
でも実はこのフレーズ、本当はちょっと違うのです。

正解は、
「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず といへり」

最後に「といへり」が入るのです。
意味は、「と、言われている」

つまりこのフレーズは、福沢諭吉自身の言葉ではないのです。
アメリカ合衆国の独立宣言を和訳したフレーズを、学問のすゝめの冒頭に持ってきていたのですね。

福沢諭吉の生い立ち

学問のすゝめを理解する為に、福沢諭吉の生い立ちを知っておきましょう。

1835年、豊前中津の下級武士の子として生まれました。
幼くして父を亡くし、貧しいの中で育ちました。
母のお順は非常に立派な人物で、彼女のエピソードは様々なところで紹介されています。

父は優れた人物でありながら身分が低いせいで不遇な人生を送りました。
そんな状況に対して幼なごころに憤りを感じていたそうです。
門閥精度(身分制度)は親の仇であるとの思いを抱き、
身分制度にかこまれた窮屈から抜け出したいと願っていました。

黒船来航により、西洋の知識が求められた時代です。
福沢諭吉は蘭学を学ぶチャンスを得て、必死に勉強しました。
そして江戸で蘭学を教えることになります。

ある日、福沢は外国人にオランダ語で話しかけました。
しかし全く言葉が通じません。
実は、既に時代は英語が主流になっていたのです。

死に物狂いで勉強したオランダ語が役に立たない事に絶望する福沢。
しかし彼は諦めませんでした。
英和辞典がない当時、オランダ語を介して英語を独学で学びました。
その語学力が幕府に認められ、幕府の命によって欧米への留学を3度経験します。

そして時代は江戸から明治へ。
福沢は海外経験をもとに何冊もの著作を出しました。
37歳の頃、学問のすゝめを発表。
当時国民の10人に1人が読むほどの大ベストセラーとなりました。

福沢諭吉は自分を新しく更新していく勇気を持った人物だったのです。

福沢諭吉が一万円札の顔である理由

ときは幕末から明治という激動の時代でした。
それまでの常識や社会の仕組みが一変し、人々の生活が大きく変わっていった時代です。
そんな時代の中、人々が特に脅威と感じていたことが2つありました。

①廃藩置県

中央集権化を進める為に、藩が廃止されて県が置かれていきました。
このプロセスの中で、藩士や武士の多くが失業してしまったのです。
その結果、国民全員が同じスタートラインに立ち、自分の人生を自分で切り開く必要に迫らました。

②植民地化の危機

ペリー来航から始まり、西洋列強からの植民地化に対抗しなければなりませんでした。
その為には国力が必要であり、人材が必要でした。
身分や家柄ではなく、やる気のある人間にチャンスを与える必要があった時代です。
この2つの危機を乗り切る手段として福沢は学問を提唱したのです。

学問をすすめることで日本を救った福沢諭吉

学問のすゝめの一節に、
「人間の差はどこから生まれるか 学ぶと学ばざるとによりてできるものなり」
とあります。
学問をしたかどうかによって人生に差が生まれると説いたのです。
そしてそういう社会であるべきだと福沢諭吉は主張しました。

学問で人生を切り開けとのメッセージだったのです。

この影響で全国の若者が学問を志し、江戸への上京気流が生み出されました。
日本の国力を高める原動力となった本なのです。

植民地化という亡国の危機を救った立役者であるということが、福沢諭吉が一万円札の顔で居続ける理由なのかもしれませんね。

福沢諭吉の語る学問とは

福沢諭吉は、学問は実学であると説きました。
つまり普通の生活に役立つことが重要なのであると。

頭が良いのに言ってることが難しすぎて伝わらないようなタイプや、知識を上手に活用できないのはダメだと言います。
知識は世の中を良くするものでなければならないと。

論語読みの論語知らずという言葉があるように、理屈はこねるが実際は何も出来ないような人物は、国の為には無用の長物と一蹴しました。

福沢のいう実学には科学も含まれました。
仮設・検証・応用のプロセスを実学と呼び、自分の頭で考えなさいとのメッセージを伝えています。

他にも、経済学とは個人の家計からはじまって、世の中全体の経済を通しで説明できるものだと説きました。
経済学という概念すらなかった時代に新しい風を送り、国民全体が学問をすべきだと語るのです。

その主張の背景には、幕末に欧米を視察した福沢の経験があります。
欧米と日本との差にビックリしたのです。国民一人ひとりが自分の頭で考えて判断できるようにならないといけないと、強く思うようになったのです。

応用力、判断力のある人間になってほしいとのメッセージが、学問のすゝめ主題ともいえます。
自分で判断する能力は、学問を土台にして作られるとし、学問に打ち込むということに対する、ヤル気スイッチをオンにしてくれる本だったのです。

そして、学問のすゝめによってヤル気がオンになった若者達が、江戸で学ぶという流れが生まれ、日本の国力が増大していったのです。


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